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東京地方裁判所 昭和42年(ワ)5053号 判決 1973年5月22日

原告 有松剛之

第五〇五三号事件被告 木村孝作 外二名

第一三四六二号事件被告 重松克子

主文

一  原告と被告本村孝作との間の、別紙目録一および二の土地と同目録三の土地との境界確定の訴を、却下する。

二  原告のその余の被告らに対する請求を、いずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一申立

一  原告

1  原告と被告木村孝作との間で、別紙目録一および二の土地とこれに隣接する同目録三の土地との境界は、別紙図面<ニ><ホ><ヨ><ル><オ><カ><ハ>の各点を結んだ直線であることを確定する。

2  原告と被告高橋雄および被告重松克子との間で、別紙目録一の土地のうち別紙図面<ヘ><ト><チ><ヌ><ル><ヨ>、<ヘ>の各点を順次結んだ線に囲まれた土地(一八八・六六平方メートル)、および同目録二の土地のうち同図面<ル><ヌ><ワ><オ>、<ル>の各点を順次結んだ線に囲まれた土地(二六・一四平方メートル)が原告の所有であることをそれぞれ確認する。

3  被告高橋雄は、原告に対し、別紙目録四の建物から退去して第2項記載の各土地を明渡せ。

4  被告重松克子は、原告に対し、前項記載の建物を収去して第2項記載の各土地を明渡せ。

5  原告と被告粕川二郎との間で、別紙目録一の土地のうち別紙図面<ホ><ヘ><ヨ>、<ホ>の各点を順次結んだ線に囲まれた土地(三・三四平方メートル)が原告の所有であることを確認する。

6  被告粕川二郎は、原告に対し前項記載の土地を明渡せ。

7  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決ならびに第三、四、六項につき、仮執行の宣言を求める。

二  被告ら。

1  原告と被告本村孝作との間で、別紙目録一および二の土地とこれに隣接する同目録三の土地との境界は、別紙図面<チ><ヌ><ワ><カ>の各点を結ぶ直線に平行な、その南側〇・六メートルの地点を通る直線であることを確定する。

2  原告のその余の請求はいずれも棄却する。

3  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

第二当事者双方の主張<省略>

第三証拠<省略>

理由

一  本件境界および係争地の地番について

原告が二五〇番六・二五一番四の各土地を所有し、被告木村が右各土地の北側に隣接する二四九番一の土地を所有していることは当事者間に争いがなく、被告重松が二四九番八、被告粕川が同番の六の各土地を所有していることは原告において明らかに争わないので自白したものとみなすべきである。

ところで、原告は、右原告所有地と被告木村所有地との境界線は別紙図面A直線であつて係争地は右土地の一部であると主張するのに対し、被告らは右境界線は同図面C直線であつて、甲乙両地は二四九番の八、丙地は同番の六の各土地の一部であると抗争するので、以下これについて判断する。

成立に争いのない甲第二号証、第三号証、第七号証、第一八ないし第二三号証、第二七号証および弁論の全趣旨(昭和四三年五月一三日付被告ら準備書面添付図面)によると、公図上二五一番の四・二五〇番の六の北側境界線(本件境界線)は直線をなしてその西端は別紙図面上の丙道路に達し、丙道路を隔てて、その西側の二一〇番の一・二〇九番の四の各土地の境界線と相対する位置関係にある(右の位置関係は、成立に争いのない甲第五号証およびこれにより成立を認めうる甲第四号証によれば、大正一一年五月当時二五〇番および二五一番の各土地の北側境界線と二一〇番・二〇九番の三の各土地の境界線との位置関係に合致していることが認められ、その地番から、右各土地は前記各土地の分筆前の土地であつたことを窺うことができるので、これを根拠に現地を測量し公図に合わせて本件境界線を求めると別紙図面上のA直線になること、係争地の南側に隣接する右図面上の甲道路は巾約三米・長さ約四〇米前後で乙・丙両道路を結ぶ通路をなしているが、甲道路は公図上存在せず、甲道路の東・西の各部分は訴外関口正雄所有の二五〇番の五・二五一番の三にそれぞれ該ることが認められ、右事実を併せ考えると、本件境界線は、別紙図面のA直線であると認めるのが相当である。

もつとも成立に争いのない甲六号証(後記認定に反する供述記載部分を除く)により真正に成立したものと認められる乙第一号証の一・二・三(ただし同号証の二中、関口泰蔵名下の印影については成立に争いがない)成立に争いのない乙第五号証の一により真正に成立をしたものと認められる乙第二号証並びに右甲第六号証、乙第五号証の一、および前顕甲第二二号証によると、被告木村が、昭和三三年一二月旧二四九番の一の地積を実測の結果に従い公簿上の一反三畝一八歩から一反一畝一〇歩に訂正申告するに際し、亡関口泰蔵は甲道路の北側の線すなわちB直線が右土地と自己所有地(旧二五一番の一および旧二五〇番の一)との境界線であることを承認したこととなる趣旨の同意書を提出した事実が認められる(右認定に反する甲第六号証中の供述記載は措信できない)。しかし仮に右の同意書が境界を定めた合意にあたるとしても、相隣者間で合意した境界は境界確定ないし認定のための一資料となるに過ぎず、必ずしも客観的に存在する固有の境界と一致するものではないから、これだけを根拠に本件境界線を認定することはできない。

また成立に争いのない乙第五号証の二、第七号証および前者により真正に成立したものと認められる乙第三号証の一・二中には、甲道路は練馬区の管理する特別区道であつて、この道路を境として原告所有地と被告木村所有地とが画されているという趣旨の記載が存在するけれども、前顕甲第二三号証と対比してにわかに措信し難い。

よつて本件境界線は、原告主張のA直線と認められるので、甲地・丙地は二五〇番の六に、乙地およびその余の係争地部分(以下丁地という)は二五一番の四に、それぞれ属するものと認めることができる。

二  係争地(甲地・乙地・丙地等)の時効取得について、

前顕甲第四号証、第六号証、第二二号証、第二三号証、第二七号証、乙第二号証、並びに成立に争いのない甲第八号証、第二五号証、第二八ないし第三一号証、乙第四号証、第五号証の三・四、第八号証を総合すると、次の事実が認められる。

(1)  旧二四九番の一の土地は、明治三一年五月三〇日訴外亡木村繁三郎が遺産相続により取得し、その後その息子の木村林蔵がこれを管理していた時代を経て、昭和二九年三月被告木村が祖父の繁三郎から右土地の贈与を受けたこと、

(2)  甲道路は明治三一年以前から存在し(恐らく亡関口泰蔵の先代が、関口家の養子となつた頃に開設されたと考えられる)、昭和一〇年頃までには村道と考えられて毎年彼岸には村の人達によつて道普請がなされていたが、その当時甲道路の南側は右道路に沿つて櫟の並本があつて関口家の屋敷を画し、その北側は右道路に沿つて櫟の並木があり、その更に北側(内側)には雑木が生えていたこと、

(3)  これよりさき、木村家では林蔵の先々代の頃から林蔵に至るまで甲道路の北側を自己所有の旧二四九番の一の土地と考え、右道路北側沿いの境界木やその附近の雑木を切つたり、右境界木を植え替えたりしたことがあり、昭和一〇年頃には居村の人達の甲道路関口側の拡巾申入を契機として、公図上甲道路附近には道がなく、かえつて後述の木村家の沢庵工場が公図上存すべき乙道路を閉塞していることが判明したが-それより以前に関口家の人々が、公図の写や空木の境を根拠に甲道路の北側土地について所有権を主張したことの真偽はともかくとして-木村家の方でそれ以前はもとより、以後においても甲道路の北側の土地の一部について関口側の所有権の存在を承認したり、任意にその占有を中止したりした形跡はないこと、

(4)  昭和六年ないし同一三年にかけて甲道路・甲道路に直線で交る乙道路の一部・丙道路によつて囲まれていた旧二四九番の一の土地を含む甲道路の北側および北東側(前叙のとおり当時南北に走る乙道路は存在せず)の一帯は、前叙木村繁三郎の所有地でT道路に面して同人の家宅があり(甲第二二号証添付第二見取図の泉荘附近)、その南側に順次甲道路の方に向つて木村林蔵経営の沢庵工場および倉庫(右図の大内宅の東側)・その西側は竹林(右図の大内宅附近)・沢庵の捨場(右図の被告粕川宅附近)があつて係争地と思われるところには主として雑木が疎生し、木村家では右雑木を大根の干場に利用していたが、甲道路の北側は右木村宅に至るまで平坦であつたこと、

(5)  その後も甲道路の北側および北東側の一帯の土地の状況には顕著な変化がなかつたが、被告木村は昭和三三年頃甲道路の北側の土地は旧二四九番の一の土地に含まれるとの考えのもとに右土地一帯にあつた竹藪・雑木を伐採して同三四年二月から五月にかけて旧二四九番の一を現同番の一・同番の五ないし一二の土地に分筆して売渡し、被告重松克子は甲地・乙地が同番の八に、被告粕川は丙地が同番の六に、訴外岡塚芳郎は丁地が同番の一二に、それぞれ含まれるものとして、右の頃右各土地を買受けたこと、

以上の事実が認められる。

右認定事実によれば、亡本村繁三郎は民法施行日(明治三一年七月一六日)前の同年五月から昭和二九年まで係争地を旧二四九番の一の土地に属するものとして所有の意思をもつて平穏・公然に占有して来たものといえる。

もつとも前顕甲第六号証中には、係争地は草が生えていた山で木村家の方でも右土地を管理していなかつた旨の供述記載があるけれども、前叙認定事実に照らして措信できない。

そうすると、亡木村繁三郎は明治三一年七月一六日以降二〇年を経過した大正七年七月一六日には係争地を時効取得したものというべきであり、したがつてまた被告重松は二四九番の八の土地とともに二五〇番の六に属する甲地・二五一番の四に属する乙地の、被告粕川は二四九番の六の土地とともに二五〇番の六に属する丙地の、岡塚は二四九番の一二の土地とともに丁地の各所有権をそれぞれ被告木村を通じて取得したものということができる。

三  登記欠缺の主張について

前顕甲第二号証、成立に争いのない甲第一〇ないし第一七号証および弁論の全趣旨(昭和四三年五月一三日付被告ら準備書面添付図面)によると、原告は、時効完成時の所有者亡関口泰蔵から昭和四一年一一月二一日甲地・乙地・丙地等の係争地に該る二五一番の四、二五〇番の六の土地を買受け、右同日所有権移転登記を経由したことが認められる。

したがつて、時効取得者からの承継人というべき被告らは原告が不動産登記法第四条、第五条に該るか、あるいは背信的悪意者として、登記の欠缺を主張する正当な利益を有しない場合を除き登記なくして自己の所有権取得を対抗できないと解せられる(最高裁判例昭和四三年八月二日集二二巻一五七一頁)ところ、前顕甲第一〇ないし第一七号証、第二七号証並びに成立に争いのない甲第一号証、第二六号証および弁論の全趣旨を総合すると、不動産業者である原告は、亡関口泰蔵が、前記岡塚芳郎を被告として本件と同じく係争地の一部である丁地について所有権確認および建物収去土地明渡請求訴訟(豊島簡易裁判所昭和三八年(ハ)第四〇八号事件)を提起したが、時効取得を理由として昭和四一年五月三〇日敗訴の言渡を受け控訴したことを知り、右岡塚および被告らが未だ右関口から移転登記を得ていないことを幸い同年一一月二一日わざわざ旧二五一番の一、旧二五〇番の一の各土地から分筆された六筆の土地のうち係争地に該る二五〇番の六・二五一番の四の土地のみを買受け、即日移転登記を経由し、右別件の引受参加人となるとともに本訴を提起し、これら訴訟において被告らおよび岡塚らは係争地の所有地を時効取得者から承継取得したとしても、登記を欠くが故に原告に対抗できないとの主張をするに至つたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

右の事実および本件弁論の全趣旨を考えると、原告は、被告らが時効取得者から承継取得しながら登記がないことを奇貨とし、係争地を安値で買受け、本訴および別訴において登記の欠缺を理由に勝利を収め、しかる後にこれを高値で被告らに売りつけて利益を収めようとするものであることが窺われないではないのであつて、原告はいわゆる背信的悪意者として被告らの甲・乙・丙地の所有権取得について登記の欠缺を主張する正当な利益を有する第三者には該らず、したがつて被告らは登記なくして甲・乙・丙地の取得を対抗し得るものと解するのが相当であるから、原告の登記欠缺の主張は採用できない。

四  境界確定の訴と時効取得との関係について

ところで境界確定訴訟は、隣接する土地(地番)の所有者間に存する境界紛争を公権的に解決する制度であるから、右訴訟において当事者適格を有するためには、相隣地の所有者であることを要すると解せられるところ、右二、三によると、原告は二五〇番の六の土地に該る甲地・丙地、二五一番の四の土地に該る乙地・丁地、すなわち係争地全部について被告らに対し所有者でなくなり、被告重松が甲・乙両地の、被告粕川が丙地の、岡塚が丁地の、それぞれ所有者となるので、原告と被告木村とは二五〇番の六、二五一番の四の両土地と二四九番の一の土地との境界確定訴訟における当事者適格を有しないものと解するのが相当である。

もつとも、この点に関し、境界確定訴訟の本案の審理を遂げて時効取得の成否・範囲が明らかにされるのに、それが肯定されて境界が一方当事者の所有地内に位置することになつたとたん、訴を却下するのは背理であるし、また訴訟判決によるときは同一の境界確定の訴のむし返しを防止できない虞れがあるとの批判がある。しかしながら、当事者適格の有無は、本案審理の要件ではなく本案判決をするための適法要件であつて、その要件の有無は口頭弁論終結時において判断されるべきものであるし、本件のように原告が相隣地(係争地)全部について所有者でない場合についてまで適格を肯定して境界を確定してみても、被告木村とその余の被告との間で本件境界を確定したことにはならないのであるから、右の批判はあたらないというべきである。

五  結論

以上によると、原告は被告木村との間の本件境界確定の訴について原告適格を有しないものであるから、右の訴を却下し、原告のその余の被告に対する本訴請求は、原告が甲・乙・丙地の所有者であると認められない以上その余の点を判断するまでもなく理由がないことになるので、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 小林信次 中川隆司 草深重明)

(別紙)目録

一 東京都練馬区東大泉町二五〇番六

山林 一九二平方メートル

二 同所二五一番四

宅地 九〇・九四平方メートル

三 同所二四九番一

宅地 五〇・一四平方メートル

四 東京都練馬区東大泉町二四九番地八

家屋番号同町二四九番二

木造亜鉛メツキ鋼板葺二階建居宅

一階 六四・九九平方メートル(一九・六六坪)

二階 二三・一四平方メートル(七坪)

別紙 図面<省略>

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